更新

  • 2017年5月8日 : アンネのバラが今年も平和を願って咲き出しました。
  • 2017年4月24日 : 森田進牧師について、及び行事を更新しました。
  • 2017年4月21日 : 一部サイトを更新しました。
  • 2017年4月3日 : 教会の沿革を一部、 更新しました。
  • 2017年3月19日 : 行事を更新、写真等を更新しました。
  • 2017年1月22日 : ホームページリニューアル。
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



教会の沿革







 大泉ベテル教会の誕生は、故・深津文雄牧師が日本ではじめてディアコニッセ運動を立ち上げ、さまざまな事情で保護を必要としている女性のための施設をこの大泉に開設したことに由来します。  そこで奉仕するディアコニッセ(奉仕女)と利用者たちによって守られていた施設内での礼拝に、地域の人たちも参加するようになり、1961年に日本キリスト教団大泉ベテル教会として、教団より認可されました。  その後、礼拝堂を施設別館(新座市栄)に移し、地域の教会として宣教活動を続けてきました。なお、教会の事務所は現在も社会福祉法人「ベテスダ奉仕女母の家」(練馬区大泉学園町)にあります。











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集会案内

聖日礼拝

日曜日 午前10時半

こどものれいはい

日曜日 午前9時半

カナの会

(第二水曜日) 午後2時 さんびかを歌う会

ベテル文庫

(第三月曜日) 午後2時 新約聖書の通読と話し合い

マリア会

(第四日曜日、原則、変更もあり)礼拝後

※どなたでも参加できます

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牧師の紹介

森田 進 牧師
1941年生まれ
学歴
 埼玉県立浦和高等学校卒業
 同志社大学文学部
 早稲田大学文学部国文科
 東京神学大学修士課程

職歴
 梅光女学院高等学校    1966
 教文館出版部       1968
 日本キリスト教団出版局  1968〜1970
 四国学院大学専任講師   1970〜1983
 恵泉女学園大学教授    1983〜2007
 日本キリスト教団土師(はぜ)教会牧師 2011〜2016年3月
 日本キリスト教団大泉ベテル教会牧師 2016年4月着任

森田進牧師は 今年4月初めに体調をくずし、現在入院中です。
応援には、小倉和三郎牧師、伊籐瑞男牧師、森史子牧師が 協力して下さっています
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これまでの説教要旨

「地の塩の意味」     坂口順治氏
聖書  マタイによる福音書 5:13−16, コロサイの信徒への手紙 4:6
2017年7月23日   三位一体後第六主日礼拝
マタイ福音書の「地の塩、世の光」はイエスの山上の説教で有 名な箇所である。イエスは、塩のはたらきをしなさいと説いている。 また、パウロはコロサイの信徒に塩で味付けされた快い言葉で隣人 に付き合いなさいと勧めている。これらはキリストの慈しみ、神の 愛を日常生活の中で行うことが大切であり、地の塩のはたらきは、 我々が神の愛の触媒作用を担っていることを示している。愛の触媒 作用は人がつながり、出逢い、そして現れる。愛は時間や機能や形 状に関係なく、人々の魂に変化をもたらす。<>br 愛のはたらきを二つの事例で確かめる。滝廉太郎作曲の「荒城 の月」はベルギーの修道院でケルビム賛歌になっている。この曲に 修道院長が魂の感動を感じたからである。廉太郎は元田牧師から受 洗した。元田氏はティングさんから、ティングさんは父親に繋がっ て神の愛を伝えている。このかかわり、出逢い、連綿とつながる触 媒作用は恵みと喜びの神の愛を伝えている。
次はAさん。現在活躍中の牧師教授の話。幼少時に生みの母親と 死別、父は再婚。荒れ狂った生活の思春期を過ごす。家出して独立 独歩の生活をした。あるとき生命の危険に遭遇したことで変身し、 その後、 勉強に励み、良い教師と出逢い、牧師の道を選ぶ。50歳を過ぎた頃、 生みの母親は基督者だったとわかり、手記にAを神に委ねると書き残 していた。 この不思議な関係、眼に見えないつながりと出逢いは、 恵みの本質である。 地の塩の意味は深い。

「キリストの思い」小倉和三郎牧師
聖書  詩編 146:1〜10, フィリピの信徒への手紙  2:1〜11
2017年7月9日  三位一体後第四主日礼拝
キリストを信じる者の生き方は、キリストの愛に励まされて、隣 人を愛し慈しみ、悩む人を憐れみ助けることにあると私たちは知っ ています。しかし、これらのことを実際に行っているかどうかは別 のことです。使徒パウロはフィリピ教会の信者たちに「あなたがた に、隣人を愛し憐れむ心がいくらかでもあるなら」(2節)、と語り かけています。この問いかけは、私たち一人ひとりに向けられてい る厳しい問いかけです。主なる神は私たちがキリストの愛と憐れみ の実行を怠ることの多いことを見抜いておられます。
キリストはこの私たちの現実を知っておられる故にこそ、私たち を礼拝に招いてくださいます。そして主は、溢れる愛を注ぎ、私た ちの不従順と怠慢を赦し、聖霊を注いで、御言葉を行う力を与えて くださいます。
パウロはさらに、何事も利己心や虚栄心から行うことを戒め、隣 人を自分より優れたもの(より神に愛されている者)として重んじ ることを命じています。この「キリストの思い」を実行するために、 神の子の栄光を脱ぎ捨てて身を低くし、貧しい人間となられたキリ ストの道を辿るよう、私たちに命じています。

「真の謙遜」伊藤瑞男牧師
聖書  レビ記19:13〜18、 フィリピの信徒への手紙 2:1〜11
2017年7月2日   三位一体後第三主日礼拝
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を身分よりも優れた者と考え、 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」 この言葉は、私たちが教会において、また日常の生活において隣人にどう接するべきかを教えて います。「へりくだって、相手を自分よりも優れた者と考えなさい」と言います。
この世では、人と人の間に上下、優劣があると考えられています。 お金、財産、身分、地位、名声、能力は勿論、道徳的高潔さなどにおいて、私たちはそのことを意識しないで、他人と接することができません。 相対する人が自分より優れていると思えば、自分が卑屈になり、反対に 自分より劣っていると思えば、優越的な態度になるでしょう。それではよくないと、だれも考えます。
しかし、パウロのこの言葉は、この世の知恵と同じではないでしょうか。そうです。日本でも、謙遜は美徳と認められ、へりくだる人は称賛されます。 この世の謙遜は礼儀に属しますから、形だけになりやすいことは、多くの人は気がついています。 それでも、パウロはこの世の知恵をないがしろにしません。 ただし、パウロは、眞の謙遜を主イエス・キリストに見ています。 「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって身分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。 人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
私たちは、この主イエス・キリストの謙遜の姿を見て、悔い改めるのです。そうして、私たちの謙遜も真の謙遜に近づくのです。

2017年6月の説教要旨
2017年5月の説教要旨
2017年4月の説教要旨
2017年3月の説教要旨
2017年2月の説教要旨
2017年1月の説教要旨

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アクセス地図

日本キリスト教団大泉ベテル教会
礼拝堂・牧師執務室 〒352-0014 埼玉県新座市栄4-6-17
通信・連絡先(ベテスダ奉仕女母の家)
〒178-0061 東京都練馬区大泉学園町7-17-30
Tel 03-3924-2238  fax 03-3921-4962

最寄り駅  西武池袋線大泉学園 駅 。 西武バス「新座栄」「朝霞駅南口」行き乗車。
「天沼マーケット」下車。初めての信号、(キムチ店角)を左折、徒歩2分(約160m)。
お問い合わせ → こちらから



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行事

イースター礼拝 4月16日(日) 説教 伊藤瑞男牧師

「色とりどりのイースター卵。」

「庭で卵さがしをしました。」

「こんなところにも卵がありました!」

「こんなところにも卵がありました!」

「こんなところにも卵がありました!」

「 讃美歌の歌声が響きます。」

「 聖餐式がありました。」
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