更新

  • 2017年2月8日 : これまでの説教要旨を更新しました。
  • 2017年1月23日 : これまでの説教要旨を更新しました。
  • 2017年1月22日 : ホームページリニューアル。
東京都練馬区大泉学園町7−17−30
礼拝堂  新座市栄4−6−17


教会の沿革



大泉ベテル教会の誕生は、故・深津文雄牧師が日本ではじめてディアコニッセ運動を立ち上げ、売春防止法成立で保護された女性のための施設をこの大泉に開設したことに由来します。  そこで奉仕するディアコニッセ(奉仕女)と利用者たちによって守られていた施設内での礼拝に、地域の人たちも参加するようになり、1961年に日本キリスト教団大泉ベテル教会として、教団より認可されました。  その後、礼拝堂を施設別館(新座市栄)に移し、地域の教会として宣教活動を続けてきました。なお、教会の事務所は現在も社会福祉法人「ベテスダ奉仕女母の家」(練馬区大泉学園町)にあります。
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集会案内

聖日礼拝 日曜日 午前10時半
こどものれいはい 日曜日 午前 9時半
カナの会 (第二水曜日) 讃美歌を歌う会 14時
ベテル文庫 (第三月曜日) 14時
マリア会 (第四日曜日、原則、変更もあり)礼拝後
※どなたでも参加できます

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牧師の紹介


森田 進 牧師

  1941年生まれ
学歴
 埼玉県立浦和高等学校卒業
 同志社大学文学部
 早稲田大学文学部国文科
 東京神学大学修士課程

職歴
 梅光女学院高等学校    1966
 教文館出版部       1968
 日本キリスト教団出版局  1968〜1970
 四国学院大学専任講師   1970〜1983
 恵泉女学園大学教授    1983〜2007
 日本キリスト教団土師(はぜ)教会牧師 2011-2016年3月
 日本キリスト教団大泉ベテル教会牧師 2016年4月-現在
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これまでの説教要旨

先週の説教から「自由になる」」 森田進牧師
  聖書 ヨハネ8:31〜38
2017年2月12日 受難節前第三主日礼拝
31節、「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である」。32節、「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。イエスさまに傾聴し実践するならば、という厳しい条件付きなのです。
真理と自由は、勝手気ままな解釈、したい放題だとはき違える輩が多い。支配層には歴史の現実が、苦しむ人々が見えない。 だからイエスさまは切り返す。「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である」。 罪からの解放とは何か、自由を求める渇きさえないという鈍感なエリートなのだ、と。
35節「奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる」。 父の家とその中にいるイエスさまの事実と比喩なのだ。36節「もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる」。
37節「あなたたちがアブラハムの子孫だということは、分かっている。 だが、あなたたちはわたしを殺そうとしている」。論理が飛躍していてどういう意味か分からず心の揺らぎを覚える人もいるだろう。 その揺らぎの中から考えるのだ。38節「わたしは父のもとで見たことを話している。ところが、あなたたちは父から聞いたことを行っている」。これは明らかに血筋上の父親のことだ。世俗的な自分らの位置の正当性意識の考え方しか出来ない。
 58節、決定的な言葉がイエスさまの口から飛び出す。「『アブラハムが生まれる前から、わたしはある』」。59節「すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした」。44節「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。彼の内には真理がないからだ」。真理と自由は、イエスさまが与えて下さったのであり、その喜びを生き抜いて行きましょう。

先週の説教から「落ち穂」 森田進牧師
  聖書 ルツ記2:17〜23
2017年2月5日 顕現後最終主日礼拝
 モアブの娘たちと結婚した二人の息子も死んでしまってやもめになったナオミは、二人の嫁に故郷に帰るように勧めた。モアブ人同士の再婚が一番安定した選択であったからだ。が、マフロンの嫁だったルツは、姑と共にベツレヘムへと移り住む決断をした。ナオミは、夫と二人の息子を奪われて、絶望のどん底に落ち込んでいた。
さて、ナオミの亡き夫エリメレクの一族にはボアズという有力な親戚がいて、落ち穂拾いをするルツに好意を示し、やがて激しい恋の焔に焼かれて求婚するまでに至った。その間の会話のやり取りは、万葉集時代の歌垣のようだ。13節、「あなたのはしための一人に及ばぬこのわたしですのに」、「こちらに来て、パンを少し食べなさい」。それを知ったとき、姑のナオミは知恵を授けます。「今晩、麦打ち場に下っていき、あの人の裾で身を覆って横になりなさい」と。これは、苛酷なうつろな状況に追い込まれたナオミが、ようやっと見いだした希望の光なのです。
 最終4章、ボアズはゴーエール制度(家を絶やさないための買い戻し)を実行する。そして晴れてルツを妻として迎えて祝福を浴びた。二人の間には、息子オベドが与えれた。 しかし、「ダビデの系図」には、ナオミとルツの名前は出て来ません。この書は「ルツ記」なのに、です。異民族モアブの女は、ユダヤの正式な共同体の構成員としては認められない。にもかかわらず、「ルツ記」が旧約聖書に採用されている事実から何を学び取れるかは明白です。女性の偉大な働きを神さまは高く評価してきたという事実なのです。
 大泉ベテル教会は婦人会で持っていると言ったら言い過ぎでしょうか。女性の本質と共にある、歴史に注がれる神さまの眼差しに感謝しましょう。

先週の説教から「わたしを遣わしてください」 森史子牧師
聖書:イザヤ書6:1〜8
マタイ28:16〜20
2017年1月29日
今、世界では米国の指導者の交代により、米国と多くの国々が不安の中で揺れています。私たちは、国の指導者の在り方が国民に与える影響の大きさを見せられているのです。52年間ユダ王国を治めたウジヤ王の死は、国のために祈ってきたイザヤにも影響がありました。
そのイザヤが、「高く天にある御座に主が座しておられるのを見た」のです。ウジヤが死んで王座から離れたのとは対照的に、まことの王である主が高くあげられた王座に座っておられる。イザヤは本当に頼るべきお方は、主なる神であることに気づかされました。
イザヤは、神の臨在と神の栄光の輝きを見たのです。同時に圧倒的な神の聖さに触れて、自分の罪を示され砕かれました。預言者として神の言葉を語る資格のない汚れた唇を持ち、誰よりも罪深い自分であることを告白したのです。
すると一方的に祭壇の燃える炭火を口に触れさせて、神の赦しが与えられました。「あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた」。高く天にある御座におられ た方は、主イエス・キリストです。そして祭壇の炭火は、十字架の 贖いを表しています。罪赦されたイザヤは、主の呼びかけに応答し ました。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」 この時、イザヤは、主の働きに入る第一歩をしっかり踏み出したのです。

先週の説教から「天に富を積む」森田進牧師
聖書:マタイ19:16〜30
2017年1月22日
この青年は、「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」。イエスさまの答えは、「善いお方はおひとりである」。イエスさまは続ける。「もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな。父母を敬え。また隣人を自分のように愛しなさい」。が、この青年は真顔で答えた。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か足りないでしょう」。自負さえ見えるではありませんか。安易な自己肯定です。
イエスさまは、視点を変えてこう言います。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい」。財産が悪、敵であるとは言っていない。 青年の自己認識の甘さを突いているのです。 そして「彼らを見つめて」とある。弟子たちの救いに対する理解力のなさに明らかに失望しています。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」。誰が救われるだろうかという弟子たち の愚かな疑問。今目の前にいらっしゃるイエスさまがどなたであるのかがいまだに分からない。
弟子たちをそのまま放り出したくはないイエス様は、優しくしく厳しく、「神は何でもできる」と語った。
またしても直情径行のペテロは、「わたしたちは、何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」。イエスさまは、「はっきり言っておく」云々。イエスさまがくださるものは神さまの栄光にあずかるという事実なのです。
イエスさまは、すべての人を完全に救えるのです。私どもは主の放つ香りに包まれて前進しましょう。

 先週の説教から「神の誉れ」 森田進牧師
聖書:箴言 25:2  
2017年1月15日
 今日は、引き続き今冬最大の寒波が列島を覆っている。そして全 国入試センター日です。こんな日、家族、日本、世界の明日に思いを馳せることを勧めます。
トランプ氏のむき出しな暴言に私どもは心を痛めている。金儲けでずんずん進む絶叫で世界が揺れ動く惨めな光景だ。世界が築いてきた秩序や価値観がひっくり返されそうな現在、聖句「ことを隠すのは神の誉れ」は、重大な意味をもって迫って来る。
「隠す」、「隠れる」は、私どもには探り得ないミステリー(神秘)であり、これも神の典型的な在り方なのです。
 私どもの神は、ご利益をもたらす特効薬の神ではない。私どもは、寛容と多様性に基づく民主主義に立って、互いに仕え合う世界を建設している。が、現実はどうかというと、危うい状況がじわりじわりと広がっている。
「いつまで、主よ、隠れておられるのですか。」 即答を期待するのは愚かな人間の常だが、み声が聞こえるまで忍耐して待つべきだ。箴言に登場した「隠す」神を考える時だ。
 金曜日、教会のキッチンの盥に生けられた3本の枝を発見。1本の枝の蕾が開いて芳しい香りを放っている。蝋梅だ。精巧に刻んで造ったブローチ。厳冬を忘れてうっとりした。
 そのとき、祖父から教わったシェリーの詩の一行、「冬来たりなば春遠からじ」を突然思い出し、教会の庭に出た。梅が早くもうっすらと蕾を付けている。ピンクの山茶花が真っ盛り。夏蜜柑はたわわ。木の下には、純白の花をつけた水仙の群れ。紫菜の花の大きな葉っぱが広がっている。もう春の魁の装いです。
 大泉ベテル教会はエデンの園だ。世俗をひと時放り出して、玄関の前のアンネの薔薇を見に行きました。冬咲きの赤い蕾をふっくら付けていました。寒さを忘れていました。  信仰は、求めて祈り続ける途上で不意に与えられる神さまからの贈り物です。論理だけでは辿り着けません。解明できないミステリ(神秘)こそ神のもう一つの本質なのです。

先週の説教から「創造と和解」 森田進牧師
聖書:コロサイ 1:5〜20
2017年1月8日
著者探しは、重要事ではない。長い間、パウロの手紙として読み継がれてきた事実が重要なのだ。5節、「それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました」。「福音という真理の言葉」は、単刀直入だ。今日の部分には、「イエス」という固有名詞は登場せず、三位一体の「御子」という語が出ている。
すなわちキリストなのです。9節以下の善行の勧めは、ハードルが高いが、真意は〈信仰の力によって〉なのです。特に新約では、「喜び、喜ぶ」という単語は、「悲しみ、悲しむ」の3倍弱ある。第一テサの「いつも喜んでいなさい」は、余りにも有名だ。
15節、「御子は見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれたかたです。」私どもの理知で太刀打ちできない領域こそ神のもうひとつの領域なのだ。 16節には、驚くべきことが宣言されています。「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、玉座も主権も支配も、万物は御子によって、御子のために、造られました。」 宇宙の全被造物を造られたのは御子であり、宇宙の最終目的も御子そのものなのです。この祝福された天地を託されながら、汚して破壊しつつあるのは人間なのです。18節以下は、決定的な結論です。「また、御子はその体である教会の柱であります」。20節、神は全被造物を「ただ御子によって、御自分と和解させられました」。
この壮大なキリスト論は、ローマ帝国による弾圧が苛烈を極めていく途上でなされた信仰告白なのです。だから創造と和解という根源的なテーマが形成されたのです。その教会に連なる枝として選んでくださったことを私どもが自覚しているかぎり、希望という真理を私どもは伝えていく義務があるのです。

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アクセス地図

大泉ベテル教会礼拝堂・牧師執務室
埼玉県新座市栄4−6−17
п@048−437−6978

連絡先(ベテスダ奉仕女母の家)
東京都練馬区大泉学園町7−17−30
п@03−3924−2238  Fax 03−3921−4962


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