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  • 2019年1月27日 : 「わたしたちは神の神殿です」   坂井賢治牧師
  • 2019年1月20日 : 「赦しと喜び」     森 史子 牧師
  • 2019年1月13日 : 「リディアの回心」     坂井賢治牧師
  • 2019年1月6日 : 「主イエスの洗礼」    坂井賢治牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2019年1月
「わたしたちは神の神殿です」   坂井賢治牧師
聖書 詩編48:2-12
     コリントの信徒への手紙二 6:14-7:1
2019年1月27日    顕現後第三主日礼拝
コリント二6章14節に「信仰のない人々と一緒に不釣り合いなくびきにつながれてはなりません」とあり、これは、信仰のない人々と付き合うな、という意味ではありません。くびきを負う二人が真の信仰者でないなら、キリスト者の調和や一貫性が保てない、と言っているのでしょう。
14節後半から5つの例を挙げて、「信仰」と「不信仰」との間には、「どんな関わり」も、「何のつながり」も、「どんな調和」も、「何の関係」も、「どんな一致」もない、と説明しています。
5つ目で神の神殿と偶像にどんな一致がありますか、という問いがあり、これは、礼拝に関することで、真の神礼拝と偶像礼拝とは絶対的に相入れないものです。
信仰者とは、偶像から離れて、神様に立ち帰った者のことだからです。このことに関連して、「わたしたちは神の神殿」である、と言われて、私たち自身が聖霊において神様が住まわれる神殿である、と明らかにされています。
神様は、イスラエルの民の間に住み、そこを出入し、そして、彼らの神となり、彼らはその神の民となる、と記されています。
私たちは、神の神殿であるが故に、聖なる者となること、即ち「聖化」の道をたどり、聖霊によって主イエスに似る者に変えて頂くのです。
私たちは、以前は偶像に仕える人間でしたが、神様が罪人である私たちと連帯し、受け入れて下さり、救われました。
生ける神様が、聖霊として私たちの内に住んで下さり、共にいて、導き、支え、聖化の道をたどらせて下さるのです。

「赦しと喜び」     森 史子 牧師
聖書  ルカによる福音書 15:11〜32
2019年1月20日   顕現後第二主日礼拝
放蕩息子のたとえは、聖書の中でも有名な話である。父親と二人 の息子が登場する。
父親は、神を表し、この二人の息子は、主イエ スの周りにいる罪人と宗教熱心な人を表現している。
罪人は、弟息 子であり、神を無視して自分の欲望を満足させるためには、父親で も犠牲にしてしまう。 宗教熱心な人は、兄息子であり、傲慢で自惚 れが強く、言い伝えや決まりを守れば神の様になれると信じている。
弟は、「我に帰った」(17節)危機的状態に遭い、自分の罪に気付い たのだ。「お父さん、わたしは天に対しても、お父さんに対しても罪 を犯しました・・」(18節)彼は、罪を告白し悔い改めた。
父は、戻ってきた息子を喜んで赦した。神は、どんな罪であっても、悔い改 めた者を裁くことはない。それどころか、喜んで赦し、祝福してく ださるのだ。弟は、父の元に帰った。
父と一緒にいた兄息子は、奔放な生活をして堕落した弟を裁いて いた。 そして、喜び迎え入れた父に対して憤りを感じ家に入らなかった。
父が弟のために、自分の受け継ぐ財産の中から、一頭の子牛 を屠ったことで不満は爆発した。 「わたしは何年もお父さんに仕えて います。言いつけに背いたことことは一度もありません・・・」(29節)
兄は、自分が完璧であると思っている。
自分には非がなく義人だと信じ、主イエスの言葉に耳を傾けない ファリサイ派の人々や律法学者の様である。
皮肉なことに、犯した 罪を認めて家に帰った弟は、父の心と一つになった。しかし兄は、 祝宴を拒否して家に戻らず、父との間に距離ができてしまった。 私 たちは、兄、弟、どちらの要素も持ち合わせている。全員が罪人なのだ。
だから、私たちの罪を贖うための完璧な救い主が必要なのだ。 私たちの罪を最高の服で覆ってくれた主イエスは、裸のまま十字架 上で死なれた。感謝。

「リディアの回心」     坂井賢治牧師
聖書 出エジプト記18:13-27
使徒言行録16:11-15
2019年1月13日  顕現後第一主日礼拝
パウロは、ユダヤ教徒でしたが、復活の主イエスに出会い、回心しました。彼が小アジア地方に伝道した時、幻の中に一人のマケドニア人が現れ、「わたくしたちを助けてください」という願いを聞き、直ぐに、ローマの植民都市フィリピへ行き、数日間、滞在しました。
安息日に、祈りの場所を探して川岸へ出かけると、そこには婦人たちが集まっていたので、福音を語りました。その中にリディアという女性がいて、神様が彼女の心の目を開いて下さったので熱心に聞いていました。彼女は、神様を敬い、ユダヤ教に親しみ、ユダヤ人の集会所に加わり、唯一の神様、天地の創造主を信じる信仰を持っていました。謙遜な人格、良き奉仕をし、反応の素晴らしい、積極的なやり手の女性で、上流階級に属していました。回心へと導かれ、洗礼を受けました。彼女は、家族の者、即ち親族や奴隷を洗礼に導き福音宣教の担い手となりました。
私たちは、年々、年を取り、老人になり、体力も気力が弱り、病気に罹り、不安が増すことが多くなります。そのような時に大事なことは、神様と個人的な出会いと交わりであって、回心の体験です。私たちを赦し、救うために十字架上で死なれたイエス・キリストを救い主と信じることであり、福音を聞いて、主イエスを信じる者になることです。
既に、洗礼を受け、奉仕活動や教会生活を送っている方々もまた、日々、聖書のみ言葉を聞き、神様のみ心を受け止め、リディアのように福音を伝えることに力を注ぐことが神様の望まれることです。

「主イエスの洗礼」    坂井賢治牧師
聖書  詩編 104:24-30
ルカによる福音書 3:15-22
2019年1月6日   顕現祭礼拝
新しい年を迎え、皆様はどのような希望や期待をお持ちになりましたか。
世界的には、大国の間の経済的、社会的、また軍事的な摩擦が大きくなって、戦争が起こるのではないか、という不安があります。また地震、大雨、火山の爆発や津波など自然災害の恐怖があります。
このような不安や恐怖の中にあっても、私たちイエス・キリストを信じる者には、聖霊の助けと支えを得て、希望と勇気を持って新しい年を迎えることが出来ました。
今日、与えられた聖書2個所で神様は、私たちに幾つかのことをお示し下さいました。@洗礼者ヨハネのように主イエスを信じ、人々に主イエスを伝えること。A主イエスの誕生の時から十字架への道が示され、復活されて私たちの救いのためにお働きになられたこと。B主イエスの洗礼の時にも、神の子であること、また神様のみ心に従って歩まれることが伝えられ、主イエスは、救いのために苦難に遭われることを知っていました。C主イエスの生涯のどの時点をとらえても、必ず、祈りを持って、事を始められ、歩みを始められました。D詩編の詩人が歌うように、神様をほめたたえ、祈ることの大切さが示されました。主イエスのように、神様との交わりを大切にし、私たちも、苦しみや困難の中にあって、祈ることの大切さを認識し、祈ることが大事です。
困難や苦しみを乗り越えて、新しい時代への転換を望むならば、先ず、神様に信頼し、信じ、熱心に祈ることです。新たな挑戦とは、すばらしいものなのだ、と信じて、新しい年、希望を持って歩み出しましょう。そのために今日、神様から力と勇気とが与えられました。真に、感謝です。

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