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  • 2018年10月28日 : 「神様からいただいた○○」    坂井賢治牧師
  • 2018年10月21日 : 「白い衣を着た人々」   坂井賢治牧師
  • 2018年10月14日 : 「主イエスを知らない」   坂井賢治牧師<
  • 2018年10月7日 : 「福音の前進」    坂井賢治牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2018年10月
「神様からいただいた○○」    坂井賢治牧師
聖書 ルツ記1:16-19
   ローマの信徒への手紙1:11-17
2018年10月28日 三位一体後第二十二主日礼拝
        (修養会)
この礼拝から今年の修養会が始まっています。
姑ナオミがモアブを離れベツレヘムへ帰る決意をした時、嫁たちに自分の国に残り、新たな結婚相手を得て、幸せに過ごすように勧めましたが、ルツは、どうしても一緒に行くと強く言いました。彼女は、人生の岐路に立たされた時、ナオミに対する親愛の情と信頼と、外国人でありながら、イスラエルの神への信仰を持ってベツレヘム行くことを決断しました。ルツは無事にベツレヘムに着き、ボアズと結婚し、ダビデの曾祖母となる幸いな人生を歩みました。
パウロは、熱心なユダヤ教徒であったので、主イエスやキリスト教徒を迫害、逮捕し、牢屋に送り込んでいました。ある時、復活の主イエスに出会い、大きく変えられ、洗礼を受け、キリスト者になり、福音宣教を熱心に行うようになりました。宣教旅行の間。迫害や困難、苦難に遭ったが、伝道への意欲が妨げられることはありませんでした。人生の終わりになって尚、遠くローマにまで福音を伝えるために行こうと願っていたのです。
福音は、信ずる全ての人に救いをもたらす神の力であり、福音には神の義(正しさ)が啓示されている、とパウロは説きました。これは、主イエスにおいて表された神様の恵みです。主イエスを信じることによって義とされる信仰義任を説いています。
ルツも、パウロも修養会のテーマに添って言うならば、「神様からいただいた信仰」によって激動の中を生き抜き、神様を、イエス・キリストを人々に伝えた人たちでした。
私たちも信仰によって義を受けたのですから、最後まで信じ、守り続けることが大切です。

「白い衣を着た人々」   坂井賢治牧師
聖書  イザヤ書25:1-10
ヨハネの黙示録7:1-12
2018年10月21日  三位一体後第二十一主日礼拝
ヨハネの黙示録7章9節以下には、信仰生活で直面する苦難の故に落胆し、失望し、否定的な考えに捕らわれがちな私たちに対して生きる希望と勇気を与えてくれる内容が記されています。
あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった大群衆が救われることが書かれ、世界的規模の救いが示され、救われるのは、
全ての主イエスを信ずる者です。
救われた人々は、天国で白い衣を着て、神様の勝利に与かっているのです。
天使たちは、群衆の叫びに共鳴して、「真実です。良いものは、全て神様から来る」と言っています。
14節に、「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである」と記され、大きな苦難とは、特定の苦難を指しており、当時は、ネロ皇帝やドミティアヌス皇帝による大迫害を意味していたでしょう。私たちの場合にも、何か大きな苦難の後、天国へと招かれることを意味しているのです。
衣を小羊の血で洗うとは、主イエスの十字架で流された御血で罪を赦して頂くことであり、十字架の死による罪の赦し、救いとその恵みとを意味しているのです。
聖書は、旧約、新約いずれにおいても、人間の救いは、神様によることが明確に記され、私たちは、イエス・キリストに出会って、神様を知り、洗礼を受け、将来の不安や困難をも乗り越える希望、力、勇気と天国への希望が与えられていることは幸いです。

「主イエスを知らない」   坂井賢治牧師
聖書 出エジプト記 2:11-22
   マルコによる福音書14:66-72
2018年10月14日  三位一体後二十主日礼拝
         (神学校日)
主イエスが逮捕され、裁判にかけられようとした時、弟子たちは、主イエスを見捨てて、逃げ出し、ぺトロは、大祭司の屋敷に連行される主イエスに付いて行き、大祭司の屋敷の庭に潜り込みました。
ペトロが中庭で火に当たっていると、突然、女中が、「あんたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と言われ、驚き、咄嗟に、主イエスを否認しました。その時、鶏が鳴きました。
その後、2回も、人間の弱さの故に、主イエスを否認し、罪を犯しました。三度、知らない、と言った時、再び、鶏が鳴きました。その時、主イエスがおっしゃったことを思い出していきなり泣き出しました。 弟子たちの罪に対して、主イエスは、「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く」と言われ、処罰されず、再び、会う約束をしています。
主イエスは、弟子たちの全てをご存じで、彼らの罪を前もって知っておられ、彼らを愛し、助け、赦し、再び会おうとされる愛と恵みの深さを知らされました。自分の罪の深さを知った時、自分のために十字架に架かって下さった主イエスの愛と恵みのみ心によってのみ救われることを知るのです。
その上、それぞれに使命をお与え下さるので、立ち直れるのです。 現在のキリスト者も同様で、救われたのですから、それぞれに与えられている使命を見つけ出し、実行することが大事です。

「福音の前進」    坂井賢治牧師
聖書  ダニエル書 3:12-26
    使徒言行録 5:27-32
2018年10月7日   三位一体後第十九主日礼拝
ペトロとヨハネが主イエスの復活を話している時に捕らえられ、翌日まで牢に入れられる、という事件が起こりました。
役人たちは、「今後、あの名(イエス・キリストの名)によって誰にも話すな」と脅し、二人を釈放しましたが、彼らは、聖霊に満たされて大胆に神の言葉を語りました。
そのため再び、逮捕され牢に入れられましたが、夜中に神の天使が牢の戸を開け、彼らを外へ連れ出しました。彼らがエルサレム神殿の境内で人々に教えていた時、神殿守衛長の部下に捕らえ、最高法院の中に立たせました。このように主イエスを語ることで使徒たちは、迫害を受けたのでした。
大祭司の尋問に対して、「主イエスの十字架上の死は、ユダヤ人の手によるものである」と語りました。しかし、そこに神様のみ手が働いて、主イエスは復活し、福音は、ぺトロやパウロという良き後継者を得て、更に広がる結果となりました。困難に直面しても、神様は、使徒たちを用いて、福音の前進を図って下さるのです。
ローマ帝国の時代には、皇帝によるひどいキリスト者迫害がありました。
日本においては、長い期間、キリシタン禁制による迫害があり、また第二次世界大戦中、日本の政府による弾圧、迫害が多くありました。 どんな迫害を受けてもキリスト教が滅びることなく、常に、宣べ伝えられたことは、神様の偉大なみ力によるものでした。
今、日本のキリスト者は、福音の前進のために、大いに働くことを神様から求められています。聖霊がこのために働いて下さっているのですから、私たちも持てる力を発揮して、参加しましょう。

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