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  • 2018年9月30日 : 「安心しなさい。さあ、立ちなさい。」     森 史子 牧師
  • 2018年9月23日 : 「裏切る者」     坂井賢治牧師
  • 2018年9月16日 : 「罪を取り去る唯一のいけにえ」    坂井賢治牧師
  • 2018年9月9日 : 「主イエスに香油を注ぐ」    坂井賢治牧師
  • 2018年9月2日 : 「御自身をささげて下さった主イエス」 坂井賢治牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2018年9月
「安心しなさい。さあ、立ちなさい。」     森 史子 牧師
聖書  マルコによる福音書  10:46~52
2018年9月30日 三位一体後第十八主日礼拝
イエス・キリストと私たちの出会いは、一人一人違い、それぞれにドラマがあります。
主イエスと盲人バルティマイの出会いも、彼の人生を変える劇的な出来事になりました。 道端で物乞いをして辛うじて生きていたバルティマイでしたが、どこで知ったのか?
主イエスを「ダビデの 子イエスよ」と呼び「わたしを憐れんでください」と叫んだのです。 盲人は、神に呪われた存在だと忌み嫌う時代に、主イエスは病人を 癒し悪霊に憑かれた者を解放していたのです。この事実は、彼にと って救いと希望になりました。主イエスは立ち止まり、バルティマ イと向き合い、一人の人間として尊重し、自由意思を与えました。
その結果、彼は個人の尊厳を取り戻すことが出来ました。
主イエスとの出会いは、人生を変えるだけでなく、人間の尊厳を 守ることができる唯一のチャンスです。
「安心しなさい。さあ、立ちなさい。」この言葉は、主イエスのと ころに導く力強い呼びかけです。バルティマイは、この言葉で「躍 り上がってイエスのところに来た」のです。私たちの周りにも、孤独や不安で心の目が盲目になっている人々がいます。是非、寄り添いながら声を掛け、主イエスのもとにお招きしましょう。教会は、主イエスとの出会いの場です。

「裏切る者」     坂井賢治牧師
聖書  詩編43:1-5
マルコによる福音書14:32-42
2018年9月23日  三位一体後第十七主日礼拝
最後の晩餐を終えた主イエスは、ゲツセマネへ祈るために行かれました。途中で弟子たちが主イエスにつまずく話をされましたが、ペトロは決してつまずかない、と言いました。 しかし、主イエスの逮捕後、3度、知らない、と言うことを予告されることになり、これも主を裏切ることの一つです。
十字架で死なれた後、弟子たちが故郷へ逃げ帰ることを主イエスは承知していましたが、これも裏切りの一つです。 しかし、復活の後、主と弟子との関係が回復することを主イエスは、告げていました。ペトロは、主イエスの愛によって生かされ、指導者として働くことになるのでした。
主イエスは、ご自身を裏切るような罪を犯した者の過去の罪を赦し、受け入れて下さるお方です。私たちも赦される中の一人なのです。
主イエスは、十字架の死を目の前にしてひどく恐れ悩み始め、3人の弟子に、「死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」と言われたが、弟子たちは眠ってしまいました。これも御命令に従うことができない裏切りの一つです。
主イエスは、「裏切る者が来た」と最後の予告をされ、イスカリオテのユダが役人たちを連れて来て、逮捕されたのでした。
このことは、ユダだけのことではありません。私たち人間全ての弱さと失敗の結果です。私たちは、神様の愛の中に生かされているのです。

「罪を取り去る唯一のいけにえ」    坂井賢治牧師
聖書  出エジプト記 12::21-27
ヘブライ人への手紙 9:23-28
2018年9月16日  三位一体後第十六主日礼拝
罪人であり、汚れた者である人間がそのままの状態で、神様に属している天の聖所に入ることは、不可能です。
可能になるために、主イエスが血を流して下さり、天と地を隔てていた幕を取り除いて下さり、そして主イエスが天そのものに入って下さり、私たちのために神様の御前に現れて下いました。それ故、私たちが天に入ることが可能になったのです。
主イエスは、ただ一回限り、いけにえとして献げられ、人間の罪を取り去るために、地上に現れて下さいました。
 私たちの人生が一度限りであることは、誰でも一度、死ぬことによって明らかであり、その後に裁きを受けるように神様によって定められています。
私たちは、裁きと聞くと、恐怖を覚えるのです。しかし、それは、希望の根拠なのです。
本来、私たちは、自分の罪のために死ななければなりませんでしたが、主イエスが私たちの罪を負い、代わって死んで下さった故に、私たちが罪のために死ぬことは免れることが出来ました。
主イエスの最初の来臨は、人間の罪を負うために御自分を献げられるためであり、二度目の来臨は、人間に救いをもたらすためであり、天の聖所に入ることが出来る希望と約束が与えられるためです。
主イエスに出会い、主イエスを信じた者が悔い改め、洗礼を受けたこと、主イエスが人間の罪を取り去る唯一のいけにえであること、そして人間が神様に救われる、ということをはっきりと今日の個所は示しています。

「主イエスに香油を注ぐ」    坂井賢治牧師
聖書 申命記15:1-11,マルコによる福音書14:1-9
2018年9月9日  三位一体後第十五主日礼拝
過越祭、除酵祭の時期は、大勢の民がエルサレムに集まるので主イエスを殺す計画は、止めようと祭司長たちや律法学者たちは決めました。
しかし、その計画は、神様の御意志によって、妨げられ、主イエスが十字架に付けられ、死なれました。
主イエス一行は、重い皮膚病を患ったベタニアのシモンの家で食事をしていました。 それは、律法では禁じられていましたが、主イエスはそれを破り、これが祭司長たちや律法学者たちの反感を買った理由の一つでした。
一人の無名の女性が純粋で高価なナルドの香油を石膏の壺に入れて持って来て、壺を壊し主イエスの頭に注ぎ掛けました。
香油は、遺体が腐るのを防ぐ防腐剤の役割を果たしていたので、彼女は、主イエスの葬りの準備をした、と言われています。 しかし、彼女は、愛する主イエスに何か自分の出来る精一杯のことをしたい、と考えていたのではないでしょうか。
人々の反応は様々で、無駄遣いだ、香油を売って貧しい人々に施すべきだ、と言いました。
ところが、主イエスは、「するままにさせておきなさい」と彼女の思い通り自由に行動させなさい、と言われました。 私たちに、主イエスに対して自分の一番大切な物をおささげしようとする思いがあれば、私たちも無名の女性と同じことが出来るのです。
また他者に対しても愛の業に励み、主イエスの十字架の愛に感謝し、主イエスの喜ばれる業をして行きましょう。

「御自身をささげて下さった主イエス」 坂井賢治牧師
聖書 列王記上21:1-14, 
ガラテヤの信徒への手紙1:1-9
2018年9月2日  三位一体後第十四主日礼拝
パウロは、自分の使徒職は、イエス・キリストと神様から与えられたものであることを明らかにしています。
自分を救い、使徒として召して下さったイエス・キリストについて、「キリストは、わたしたちの神であり、父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです」と語っています。 主イエスは、十字架に架かられ、信じる者をこの世から救い出して、来るべき新しい世界、神の国に私たちを移そうとされたのです。
このことは、主イエスを信ずる全ての人々、私たちのためにも御自身をささげて下さった、ということです。 神様は、主イエスを死者の中から復活させられ、復活の希望は、十字架の恵みと同様に、信仰者全てに与えて下さいました。
福音とは、神様の救いでありますから、神様から受けるものです。 しかし、ガラテヤの教会に異端が入り込み、正しい福音をひっくり返して別なものにしようとする者たちがいて、パウロに敵対していました。
彼らと対抗するために使徒であることを明らかにする必要があったのです。彼らは、主イエスを信じるだけでなく、律法を守らなければならない、と主張しました。 私たちは、パウロやキリスト教の先達のように、イエス・キリストの愛の中に生かされ、神様に守られ、困難や問題を切り抜け、神の国を待ち望みつつ、 神様の愛と恵みの中を自由に生きて行くことが大切ではないでしょうか。

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