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  • 2019年4月21日 : 「眠りについた人たちの初穂」   坂井 賢治 牧師
  • 2019年4月14日 : 「主がお入用なのです」   坂井賢治牧師
  • 2019年4月7日 : 「隅の親石」    坂井賢治牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2019年4月
「眠りについた人たちの初穂」   坂井 賢治 牧師
聖書   コリントの信徒への手紙一 15:12〜20
        詩編   30:2〜6
2019年4月21日  復活祭(イースター)礼拝
イースターおめでとうございます。
私たちが、「死と命」を考えることが出来るのは、イエス・キリストの十字架と復活においてです。死は、人間の理性を越えて、信仰の問題です。ですから、私たちは、死後のことを理性でいろいろ考えても解答は得られないのです。
パウロは、コリント教会員の中に、「死者の復活」などない、と言っている人がいたことを指摘し、福音の中心は、イエス・キリストの死と復活であり、「死者の復活」は、福音理解の最も重要なものである、と言っています。
イエス・キリストは、神様の御手によって復活され、天に昇り、神様の右に座して今もなお、私たちのために神様に執り成しをして下さるのです。
イエス・キリストは、死者の中から復活し、「眠りについた人たちの初穂」となられました。この言葉は、イエス・キリストの復活と私たちの復活とが密接に結び付いていることを言っています。
イエス・キリストは、眠りについた人たち、即ち死んだ人たちの初穂として復活して下さったことによって、その後に続く人々、私たちにも復活の恵みが約束され、またそれが保証されていることを言い表しています。私たちの復活もまた、神様の祝福を受けるのです。
死後の不安は、信仰によって拭い去られ、神の国へ帰る日を私たちも待ち望みつつ生かされて行くのです。

「主がお入用なのです」   坂井賢治牧師
聖書  ゼカリヤ書9:9−10
    ルカによる福音書19:28-40
2019年4月14日  受難節第六主日礼拝
            (棕櫚主日)
棕櫚の主日にはイエス・キリストが群衆の歓呼の声に迎えられ、子ろばに乗って、王としてエルサレムに入城されました。
入城の様子は、各福音書に記され、いずれもゼカリヤ書9:9の「見よ、あなたの王が来る」という預言の成就です。この王とは、「神様に従い、神様によって勝利を与えられ、即ち神様によって試練から助け出され、高ぶることなく、ろばに乗ってやって来る」と書かれています。
「高ぶることなく」とは、貧しく、弱く、低められた者であり、神様に依存しなければならないことを知っている、という意味です。
ルカ19:28で、主イエスは、先立ってエルサレムに上って行かれた、と書かれているが、弟子たちは、主イエスの使命、十字架に付けられて死ぬこと、そして三日目に復活されることを理解出来ませんでした。しかし、主イエスは、ご自分の使命をはっきりと認識されていました。
一行がベトファゲとベタニアに近づいた時、主イエスは、二人の弟子に向こうの村へ行くように命じ、その村に入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる、と言われました。それをほどいて引いて来るように命じました。
子ろばの持ち主は、「主がお入り用なのです」と弟子たちが答えると、何の疑いもなく、弟子たちのするままに任せたのでした。
子ろばは、弱く、愚かと言われますが、主イエスが用いられました。私たちも、貧しく、弱く、神様に頼らなければ生きて行けない者ですが、主イエスは、その様な私たちをも用いて下さるのです。

「隅の親石」    坂井賢治牧師
聖書  詩編54:3-9
ルカによる福音書20:9-19
2019年4月7日  受難節第五主日礼拝
「隅の親石」とは、昔の人は、今で言うならば、定礎式の時に据える 土台の隅の一番大事な石を意味する、と言っていました、しかし、最近は、 竣工式で、これを高い所に据えて建物が完成する仕上げの石、かなめ石である、 と言われています。
主イエスは、あるぶどう園の主人が農夫たちと契約を結び、農地を貸し、 その収穫の一部を主人に納める、という契約を結び、旅に出た、というたとえ話を 話されました。収穫期になって、主人は、三人の僕、そして跡取り息子を遣し、 契約通り収穫の一部を受け取ろうとしましたが、何も受け取ることが出来ませんでした。
息子は、彼らに殺されてしまいました。
このたとえは、やがて民衆が主イエスを十字架に架けて、殺すことを暗に伝えているのです。 主イエスは、民衆に、「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」と言いました。 神様は、不要になった石を重要なかなめ石とされた、という意味です。神様は、 捨てられた石のような、弱く、欠点だらけで、小さな者である私たちを捨てることなく、 用いて下さるのです。イエス・キリストの十字架は、罪深い、愚かな私たちを赦し、 救って下さる愛と恵みの出来事でした。
主イエスは、捨てられた建物の石のようでしたが、私たちの人生のために最も 大切な親石になって下さいました。
私たちの土台、私たちの隅の親石 そして全てを完成して結び合わせるアーチのかなめ石です。

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