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  • 2019年5月26日 : 「祈ってください」坂井賢治牧師
  • 2019年5月19日 : 「互いに愛し合いなさい」    坂井賢治牧師
  • 2019年5月12日 : 「主イエスは命のパン」   坂井賢治牧師
  • 2019年5月5日 : 「主の業に励みなさい」   坂井賢治牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2019年5月
「祈ってください」坂井賢治牧師
聖書   詩編34:2-11
テサロニケの信徒への手紙U3:1-5
2019年5月26日  復活後第五主日礼拝
テサロニケU3:1-5で、パウロはテサロニケ教会員に祈ってほしいことが二つある、といっています。その第一は、「主の言葉があなたがたのところでそうであったように、速やかに、宣べ伝えられ、あがめられるように」ということです。
主の言葉とは,福音のことで、コリント教会では、福音を聞くだけで、彼らの心に留まりませんでした。
しかし、テサロニケ教会では、福音を聞いた時、それを人間の言葉としてではなく、神様の言葉として受け入れ、それが彼らの内に留まり、生きて働き,力があって人々を救い,人々を全く新しい人に造り変えたのでした。
パウロはどこでも福音が速やかに伝えられ、救われる人々が起こされるように祈ってほしい、と願っていたのです。
その第二は、「わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように」ということです。
パウロは、テサロニケ教会員に対して、「どうか、主があなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように」と祈っています。神様が私たちに示し、与えて下さる愛をしっかりと持ち続け、イエス・キリストが十字架の死を耐え忍ばれ、私たちの罪を赦しと救いを完成して下さったことを信じ続けるならば、どのような困難や苦しみにも耐えることが出来るのです。
間もなく、主イエスの昇天日を迎えます。
弟子たちは、主イエスが昇天された後、彼らは、集まって祈り、祈ることから力を得て、福音宣教への意欲と備えをしたのでした。
私たちも信仰の友に祈って下さい、と願い、祈りの力を強めることが大事です。

   「互いに愛し合いなさい」    坂井賢治牧師
 聖書  申命記  7:6〜11
ヨハネによる福音書15:12〜17
 2019年5月19日    復活後第四主日礼拝
 大泉ベテル教会が、60周年、更なる将来に向かって教会の基本的な姿勢として何を考え、何を実行するのかを今日の聖書から聞きたいのです。
 ヨハネ福音書15:12で、あなたがたも互いに愛し合いなさい、と
言われました。互いに愛し合うことは、「友のために自分の命を捨てること」と説明されています。
しかし、私たちには、到底、出来ません。この言葉は、イエス・キリストの十字架を指している、と考えるのです。イエス・キリストが、「わたしの友」であると呼ぶ弟子たちのために、死んで下さるのです。「兄弟のために命を捨てること」は、
行いをもって誠実に愛し合うことである、と言われます。 そして
互いに愛し合う、いう信仰の実がむすばれるように、誠実に行う ことを意味しています。
 大泉ベテル教会がなすべき第一のことは、「私たちが互いに
愛し合うこと」です。第二は、主イエスにつながり、教会員に福音を正しく伝え、信仰の実を結ばせることです。
第三は、この世に向かって福音を雄々しく宣べ伝えることです。
 具体的にどのような教会でありたいかは、教会員それぞれが考えることですが、私は、「平和な、愛に満ちた教会」を作りたいと願っております。
 また私たちは、イエス・キリストにのみ十字架を負わせて、知らぬ顔をしているべきではありません。
私たちは、主イエスの愛にお応えして、主イエスに従う者とならなければなりません。
このことも大泉ベテル教会に託された重要なことです。

「主イエスは命のパン」   坂井賢治牧師
聖書  出エジプト記 16:4-12
ヨハネによる福音書 6:33-40
2019年5月12日  復活後第三主日礼拝
ヨハネ6:1-15には、主イエスが5つのパンと2匹の魚で五千人のお腹を満たした奇跡が記されています。それを体験した群衆は、主イエスを探したが、主のお話しを聞いて主を信じようとしたのではありません。パンをお腹一杯食べたい、という物質的な欲求でした。
主イエスは、群衆に大切なこと,「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」とはっきりと言われました。パンである主イエスを食べること、即ち主イエスを神のみ子、救い主と信じることが大事です。
今も、物質的なパンに恵まれた人々がいます。しかし、彼ら全てが満たされている訳ではありません。満たされていない、と思っている人たちの心の空腹を満たされるためには、イエス・キリストを信じることから始まります。そうすることによって、人の内に慰め、平安、希望、喜び、感謝を満たし、勇気を与えて下さいます。
主イエスが天からこの世に降って来られたのは、御自分の意志を行うためではなく、お遣わしになられた父なる神様のみ心を行うためである、とはっきりと、語っておられます。
主イエスが御自分をパンとして、差し出して下さったことによって、有限な人間の命を永遠の命に変えて下さったのです。
神様のみ心は、「独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」ということですから、私たちは、それを信じて、地上の人生を希望をもって歩んで行くのです。

「主の業に励みなさい」   坂井賢治牧師
聖書 イザヤ書 51:1-6
コリントの信徒への手紙一 15:50-58
2019年5月5日 復活後第二主日礼拝
       (創立記念礼拝)
今日は、大泉ベテル教会の第58回目の創立記念礼拝です。
コリント一15:50以下には、私たちの自然の体は、「朽ちるもの」で、神の国を受け継ぐことが出来ず、神の国に入ることが出来ない、と記されています。どのようにしたならば、私たちは、神の国を受け継ぐことの出来る体になるのでしょう。パウロは、それを神秘、隠されたこと、秘密と言っています。
私たちの自然の命は、必ず、死ぬことになっています。しかし、主イエスの再臨の日に、生きている者も、死んだ者も一瞬の内に変えられるのです。これがパウロの言う神秘であり、そこに神様の救いの完成があるのです。
私たちの復活は、今の命が滅んで、復活によってその自然の命が再び、息を吹き返すことではなく、神様が聖霊によって生きる新しい体、肉体の死を越えた新しい命を与えて下さるのです。死を越えた彼方に神様によって生かされる新しい、朽ちることがない、死ぬことのない命と体が与えられるのです。そのことを確信して、希望を持ち続けることが出来るのです。この希望に生きる時、私たちの生活が変わります。この世界の悪い影響を受けて、動かされないように注意を払い、神様のみ業に励むように勧められています。
復活の信仰、喜び、希望、勝利を多くの人々に伝えてゆくことが、これからの大泉ベテル教会には、特に大事なことです。

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