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  • 2019年6月30日 : 「主イエスの力」  坂井賢治牧師
  • 2019年6月23日 : 「善をもって悪に勝ちなさい」    森 史子 牧師
  • 2019年6月16日 : 「喜びにあふれて」      坂井賢治牧師
  • 2019年6月9日 : 「聖霊を与えてくださる」    坂井賢治牧師
  • 2019年6月2日 : 「世の終わりまでいつも共にいる」    坂井賢治牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2019年6月
「主イエスの力」  坂井賢治牧師
聖書  申命記8:11-20
    ルカによる福音書 8:40-58
2019年6月30日  三位一体後第二主日礼拝
私は、信仰の先輩たちの生き方に心打たれました。一人は、「キリスト者は、自分をお委ねする方がいるから幸いであり、平安である」と言われて天に帰られた84歳の牧師です。もう一人は、90歳直前の女性で、平安に、また健やかに暮らしているのは、信仰を持ったからです、とおっしゃったことが印象的でした。
ルカ8:40-56には、二つの物語が記され、最初は、ユダヤ教の会堂長が、主イエスの足もとにひれ伏し、必要に迫られ、自尊心を捨て、主イエスに助けを求めました。原因は、12歳くらいになる一人娘が死にかけていたからでした。
もう一つは、12年の間、長血で苦しみ、医者に掛かり全財産を使い果したが,治らず、苦しんでいた女性が主イエスの衣のふさに触れると、治ると思い、そうして病気がいやされました。すると、主イエスが、「私に触れたのは誰か」と言われましたが、混乱の中ですから誰か、と言われても分かるはずがありません。彼女が勇気を奮って自分であると申し出ると、主イエスが「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。
女性をいやしている間に、会堂長の娘は亡くなり、彼の怒りが溢れ出るかと思われた時、主イエスは、「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」と希望に満ちた言葉を言われ、恐れるなとは、死に屈するな、という意味で、彼は、主の言葉を信じ、娘は生き返りました。冒頭の二人の信仰者も、ヤイロも、ヤイロの娘も、病気に苦しんだ女性も同じように主イエスの力を信じ、助けられ、救われたのでした。

「善をもって悪に勝ちなさい」    森 史子 牧師
聖書    ローマ 12:9〜21
2019年6月23日  三位一体後第一主日
「悪に負ける事なく、善をもって悪に勝ちなさい」(21節)毎日の ように悲嘆に暮れる事件が起こっている昨今。大切な命を奪う事件 が続いています。
多くの人が驚き、同時に怒りも湧きあがって来た ことでしょう。
当然のように怒りが高まると、加害者に対して攻撃 的な言葉が飛び出します。
「だれに対しても悪に悪を返さず・・」(17節) 聖書は、その怒り を鎮めて私たちの目を開いてくれます。
そして、神は「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」と約束してくださいます。「自分 で復讐せず、神の怒りに任せなさい」(19節)神に信頼出来た時、私 たちは、振り上げた拳を下ろすことができるのです。
そして、「悪を 行う者たちが、神の前に自らの罪を悔い改めるように」と祈る時、 私たちは悪に勝利できるのです。救いこそ祝福だからです。

「喜びにあふれて」      坂井賢治牧師
聖書  詩編 8:2-10
ルカによる福音書10:17-24
2019年6月16日   三位一体主日礼拝
東日本大震災の被災者は、8年が経過してもなお、苦しみの中におられ、故郷に帰ることが出来ない人々がいます。
他方、全ての人に主イエスから喜びが与えられています。
ルカ10:17-24には、弟子たちの喜びと主イエス御自身の喜びが記されています。72人が二人ずつ組になって町や村へ神の国を宣べ伝えるために出掛け、その伝道から喜んで帰って来た様子が書かれています。彼らには、神の国を宣べ伝え、病人をいやしたことも喜びでしたが、主イエスのお名前を使って悪霊を打ち負かすことが出来たことを喜んでいました。彼らは、自分たちの力でサタンを打ち負かした、と思っていたかも知れません。
しかし、主イエスは、人々を苦しめる悪の力は、主イエスと弟子たちの働きによって敗北する、と言われました。
主イエスの喜びは、聖霊によって与えられる喜びで、神様のご計画や目的が知恵ある者や賢い者たちに隠され、幼な子のような未熟な弟子たちに示されたことを喜んだのでした。
より大切な、決定的なことは、神様が私たちを心に掛けて下さることを知り、神様に生かされている者であることを確信することです。
私たちは、神様に救われ、愛され、顧みられていることを覚え、喜びにあふれて地上の生活を続けることが出来るのです。
私たちは、主イエスこそ私たちの喜びと心から歌い、喜びにあふれ、聖霊のお導き、神様の見守りと豊かな愛の注ぎの中で、喜びにあふれて地上の生活を続けて行きたい、と願っています。

「聖霊を与えてくださる」    坂井賢治牧師
聖書  創世記11:1-9
ルカによる福音書11:1-13
2019年 6月9日  ペンテコステ 聖霊降臨祭礼拝
創世記11章の「バベルの塔」の話で、世界中が同じ言葉を遣い、同じように話していたので、人々は、天まで届く塔のある町を建てようと計画し、有名になろうとしました。
神様は、ご覧になり、全地の言葉を混乱させ、彼らを全世界に散らされたのでこの町の建設を止めました。
神様は、この民に対して御自身の方から近づき.人間を愛し、人間の罪を償う犠牲として御子イエスをお遣わしになり、更に、ペンテコステに聖霊を人間に送られ、新しい展開を示されたのです。
バベルの塔の出来事で、言葉がバラバラにされたが、ペンテコステに再び、誰でもが理解出来る言葉にされたのでした。
ルカ11:1-13を区分するならば、1-4には、主の祈りについて、5-8には、熱心な祈りのたとえ、9-10には、神様は人の願いに応えて下さる、11-13には、天の父なる神様は、求める者には聖霊を与えてくださる、という内容が記されています。
5-8のたとえは、「パンを与えてくれる友人」が神様で、神様は、人間が困って訴える時に、それを断ったなら、神様が厚顔無恥のそしりを受けることになり、もはや神様ではありえないことになります。願う人は、恥知らずと言われても、祈り願うことが大切である、と言われます。
父なる神様は、求める者に聖霊を与えてくださいます。良いものの中で最も優れたものは、聖霊である、と教えています。
聖霊は、神様のみ心を教え、自分の願い通りにならずに、かえって苦しまなければならない時でも、それが最善であることを理解出来るのは、聖霊の働きによってです。神様のみ心を実行するためには力が必要です。そのために、聖霊が力を与えて下さいます。

「世の終わりまでいつも共にいる」坂井賢治牧師
聖書  詩編 105:12-24
マタイによる福音書28:16-20
2019年6月2日   昇天後主日礼拝
私たちが文章を書く時、特に,文章の最初と最後に気を遣います。その良い例がマタイによる福音書に表れています。
マタイによる福音書の初めで、主イエスは、「インマヌエル(神は我々と共におられる)」と呼ばれ、そして最後の部分では、「世の終わりまで共にいる」と言われるのですから、私たちは、真に幸いです。
福音書28章16節以下で主イエスは、子なる神の権威を持って弟子たちに次の三つの命令を与えました。
第一に、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」という命令です。それは、全世界に伝道することです。
主イエスご自身が主に、イスラエルの民に福音を語りましたが、主が復活された今は、全ての民に伝道することが命じられました。
第二に「父と子と聖霊の名によって洗礼を授ける」ことです。洗礼を授けるとは、三位一体の神様と生きた霊的交わりに入れられることであり、教会の一員として真の教会を形成して行くことです。
第三に「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」という命令です。
主イエスの教えが弟子たちを通して世の人々に正しく教えられ、それがそれぞれの生活の中で生かされるようにしなさい、ということです。
私たちは、聖霊に助けられながら、主イエスが最後に,お命じになられた三つの使命を果たして行くことを共に考えましょう。このことが大泉ベテル教会の将来に繋がることです。

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