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  • 2019年7月28日 : 「互いに重荷を担いなさい」    坂井賢治牧師
  • 2019年7月21日 : 「命の回復」    坂井賢治牧師
  • 2019年7月14日 : 「すべてを救う言葉」     坂井賢治牧師
  • 2019年7月7日 : 「エチオピアの高官の救い」   坂井賢治牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2019年7月
「互いに重荷を担いなさい」    坂井賢治牧師
 聖書  詩編38:10-23
ガラテヤの信徒への手紙6:1-10
2019年7月28日  三位一体後第六主日礼拝
教会は、主イエスの十字架の故に、罪赦され、神の子とされた者たちの集まりであり、神様の愛を受け、それを人々に分け与え、神様の真理を伝えるために建てられています。しかし、集まっている者は、人間の弱さや愚かさのために、必ずしも神様のみ心に添わないこともあります。
私の友人、信仰の先輩がある日、突然、陪餐停止を言い渡されました。それを聞いた時に、私も、また多くのキリスト者も驚きました。そもそものきっかけは、このようなことに発展する事柄とは全く思えなかったからでした。このことにより彼は、重い、大きな重荷を負わされたのでした。多くのキリスト者は、彼が教会に復帰できるように、祈り、彼が教会から離れないことを願っていいます。
教会は、人の罪や過ちを責めるのではなく、教え、諭し、悔い改めへと導くように努力し、その重荷を担うことが大事です。
誰かが何かの罪に陥った時、キリスト者は、その人の傍らに立ち、柔和な心で正しい道に立ち帰らせてあげるように努力するのです。
このように人の弱さや罪に対して愛の手を差し伸べることは、他者の重荷を負うことです。パウロは、「互いに重荷を担いなさい」と言っています。
主イエスが私たちの重荷を負って下さったのですから、私たちも互いに重荷を担い合うのです。そして、共に永遠の命の希望を持ちつつ、神の国を目指して歩み続けるのです。

「命の回復」    坂井賢治牧師
 聖書   エレミヤ書38:1-13
使徒言行録20:7-12
   2019年 7月21日  三位一体後第五主日礼拝
当時、主イエスが十字架に架かり、三日目に死者の中から復活されたことが信じられ、週の初めの日を礼拝の日と定められていました。日曜日はまだ休日でなく、夜に礼拝が守られていました。礼拝の内容は、説教とパンを裂くことでした。パンを裂くことは、愛餐、即ち食事を意味し、皆が持ち寄って神様にささげたものを共に頂き、その中で、いわゆる聖餐が行われたのでした。 パウロは、翌日には、トロアスを離れる予定であり、これがトロアスの人々に語る最後の説教かも知れないと思い、非常に気合いが入っていました。
人々は、昼間、働いて、夜、ようやく礼拝に出席することが出来たので、疲れを覚え、更に、説教が長くなって眠気に誘われる人がいたようでした。エウティコという青年は、窓に腰を掛けて、説教を聞いていたが、眠りこけて三階から転落し、人々が降りて行き、起こしてみると、彼は、もう死んでいました。 パウロは、説教を中断し、降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて、「騒ぐな。まだ生きている」と言いました。パウロに神様の力が働いて青年を生き返らせたのでした。生き返ったエウティコは、人々に連れられて家へ帰り、教会員は、大いに慰められました。
エウティコの出来事は、私たちにイエス・キリストの希望を鮮やかに示しています。主イエスの希望は、十字架の死からの復活でした。十字架の出来事が死から復活の命、永遠の命へと開かれているのです。

「すべてを救う言葉」     坂井賢治牧師
 聖書  詩編22:25-32
使徒言行録11:4-18
2019年7月14日   三位一体後第四主日
ユダヤ人は、異邦人と交際したり、食事を共にすることを律法で禁止していました。
ペトロがヤッファで祈っていると恍惚状態になって幻を見ました。神様は、「神が清めた物を清くないなどと、あなたは言ってはならない」と三度も、語りかけました。何のことを言っているのかと思い巡らしていると、その時、異邦人コルネリウスのもとから3人の使者が到着しました。すると、聖霊が律法で禁じられている動物を屠って食べることをためらったペトロに対して、「ためらわないで一緒に行きなさい」と言われました。
ペトロたちがカイサリアに着き、コルネリウスを訪ねると彼は、天使を見たこと、その天使が言ったことを話し始めました。その内容はペトロを招くこと、ペトロがコルネリウスたちにすべてを救う言葉を話してくれる,ということでした。すべてを救う言葉とは、救い主イエス・キリストに関することで、主イエスは,全ての人の主であり、ユダヤ人と異邦人の区別が存在しないこと、イエス・キリストの十字架と復活を信ずることで救われること、主イエスは、生きている者と死んでいる者の審判者であること、主イエスを信ずる者には罪の赦しが与えられることでした。この言葉を聞いたコルネリウスたちが洗礼を受けたことでユダヤ人と異邦人との間にあった差別が取り除かれました。
今、神様は、私たちに神様のみ前に静まり,救いの言葉を聞くこと、神様の恵みの御業を子孫へ伝えて行く努力をするように命じられているのです。

「エチオピアの高官の救い」   坂井賢治牧師
聖書  エゼキエル書 34:1-6
使徒言行録8:26-38
2019年7月7日   三位一体後第三主日礼拝
サマリアで伝道中のフィリポは、神の天使に命じられ、エルサレムから地中海沿岸のガザへ向かう道へ行き、その道にはエチオピアの高官がエルサレムで礼拝し、帰国の途中でした。彼は、異邦人ですが、ユダヤ教の神様を信じていたようでした。イザヤ書53:7-8の「苦難の僕」を朗読していたが、理解出来ず、フィリポに、「分からない」と答え、難しいことを認めています。
苦難の僕とは、誰のことかと尋ね、フィリポは、それが人間の罪を贖い、新しい人間の再創造のために十字架で死んだイエス・キリストであることを説き、福音を告げ知らせました。
水のある所に来たので、彼は、洗礼を受けることを申し出、伝道者フィリポは、彼に洗礼を授けました。
伝承によればエチオピアの高官は、国に帰って、福音の宣教者になった、と伝えられています。
福音が正しく、聖霊に導かれて語られる時、使徒言行録2:36, あなたがたが十字架につけて殺したイエスを神は、主とし、またメシアとなさったのです」ということが明らかになります。
福音を聞いた者は、悔い改め、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦して頂くのです。 
エチオピアの高官も、また私たち一人一人も聖霊に導かれて信仰に入りました。それ故、私たちは、救われたことに感謝し、それぞれが神様の御用に参加し、伝道に励み、愛の奉仕をさせて頂きましょう。

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