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  • 2018年6月24日 : 「人間の弱さと醜さ」   坂井賢治牧師
  • 2018年6月17日 : 「宣教に送り出す」   坂井賢治牧師
  • 2018年6月10日 : 「悪霊を追い出す」   坂井賢治牧師
  • 2018年6月3日 : 「神の言葉を語り出す」   坂井賢治牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2018年6月
「人間の弱さと醜さ」   坂井賢治牧師
聖書 詩編33:4-11、マルコによる福音書6:14-29
2018年6月24日 三位一体後第四主日礼拝
マルコによる福音書6章14節には、主イエスの評判が広まり、ヘロデ王がその評判を耳にし、自分が殺したヨハネのよみがえりではないかと考え、報復を恐れ、不安になったことが書かれています。これは人間の弱さの表れです。
ヘロデ王がヨハネを逮捕、投獄したにも拘わらず、王はヨハネを正しい聖なる人である、と理解していたので、殺すことが出来ませんでした。
ヘロデ王の誕生日に、妻ヘロディアの娘が王や招待客の前で、踊り、王は娘に、「欲しいものがあれば、何でも言いなさい」と大風呂敷を広げました。すると、娘はヨハネの首が欲しいと願いました。
私たちが弱さや醜さから解放されるには、主イエスの十字架によって赦され、救われること、また悔い改めることが必要です。
主イエスには何一つ落ち度はありませんでしたが、すべては、人間の罪、即ち神様を信じない、従わない故に、人間の弱さや醜さを御自分の身に負って下さり、十字架に架かりました。
洗礼者ヨハネの死を巡って示されたヘロデ王やヘロディアの弱さや醜さが私たちの前に描き出されました。私たちも自分の弱さや醜さの故に誤り、罪を犯すことのないように、神様を信じ、み言葉に導かれる生活を送ることが大事です。私たちは悔い改めて主イエスに似る者になって行くのです。

「宣教に送り出す」   坂井賢治牧師
聖書 アモス書7:10-15, 使徒言行録13:1-12
2018年6月17日 三位一体後第三主日礼拝
使徒言行録13章1節に、アンティオキア教会の5名の教会員の名前を上げ、神様のお用いになる器が何と素晴らしいかを知らせています。その人物とは、バルナバ、シメオン、ルキオ、マナエン、そしてサウロです。多種多彩の人物がいましたが、お互いが威張るようなことはありませんでした。彼らは、聖霊によって自由にされ、自分を明け渡し、心を一つにして礼拝していました。
礼拝をささげている時に、聖霊が、「バルナバとサウロを選び、決めていた仕事に当たらせるように」と告げました。彼らのように神様を信頼し、断食し、心を一つにして礼拝をささげているところに神様が臨まれ、聖霊が送られ、外国人への宣教の使命が与えられるのです。
今日は、大泉ベテル教会の牧師となる就任式が執り行われる日です。神様のお召しがあり、聖霊のお導きがあって、初めて宣教へと送り出されることを身をもってしっかりと受け止めました。
アモス書7章7-15節には、預言者アモスは、牧者であり、いちじく桑を栽培する農夫であったが、突然、神様のお召しを受けて、神様の言葉を伝える預言者となったことが記され、神の霊を与えられて、少しも人を恐れず、自らの使命を明らかにし、神様の厳しい言葉を語ることが出来ました。
宣教者のみが聖霊の導きによって宣教の場へと送り出されるのではありません。教会員もまた、万人祭司としての働きが求められるのです。

「悪霊を追い出す」   坂井賢治牧師
聖書 サムエル記上16:14-23
マルコによる福音書5:1-20
2018年6月10日 三位一体後第二主日礼拝
(花の日礼拝)
聖書では悪霊はさまざまな災いや病気をもたらす、と考えられています。サウル王が精神的に苦しんでいた時、ダビデが竪琴を奏でると、悪霊がサウルから離れた、と記されています。
マルコによる福音書5章1-20節には、悪霊に取りつかれた人のいやしについて書かれています。彼は、社会から一人離れて生活しなければならず、墓場に住んでいました。墓場は死が支配する領域であり、そこに住んでいたのです。その人のいやしは、主イエスによらなければ治らないのです。
いやされた人と周囲の人々との間には大きな違いが生じました。人々は、主イエスにこの地方から出て行ってほしい、と願いました。いやされた人は、一緒に行きたいと願いましたが、主イエスは許さず、家族のもとへ帰るように命じました。彼を家族と異邦人への伝道に遣わそうとされたのです。
現在でも悪霊の仕業は私たちの周囲に起こっています。私たちや教会を脅すことがあります。しかし、それは、一時的なことです。最終的に、即ち終末の時に、神様が悪霊に打ち勝たれるのです。主イエスの十字架は、真実、私たちのためである、と信じるならば、私たちの生活は、変わって来る、と思います。ですから、私たちは、たとえ、悪霊の誘惑に遭ってもそれを退け、苦しみに耐え、 神様に期待し、主イエスの再臨を待ち望みつつ生きて行くことが出来るのです。

「神の言葉を語り出す」   坂井賢治牧師
聖書 歴代誌下15:1〜8,使徒言行録4:23〜31
2018年6月3日  三位一体後第一主日礼拝
言葉とは、感情や思想が音声や文字によって表現されたものです。それは人間の全身で生み出しているので、その意味は誠に重いものがあります。
使徒言行録4章23節で、ペトロとヨハネが最高法院から釈放され、仲間たちに議員たちとのやり取りを全て報告し、二人の話しを聞いた信徒たちは、心を一つにして声を上げて祈りました。ペンテコステ以来、彼らに聖霊が注がれ、導かれ、祈りの生活を送っていました。彼らの祈りは、神様への賛美の祈り、即ち神様が全てを造られた創造主であることが祈られています。
歴代誌下15章1-8節には、預言者アザルヤに神の霊が臨んで、アサ王に、「あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたがたと共にいてくださる。もし主を捨てるなら、主もあなたたちを捨て去る」と伝えました。アサ王は、勇気を得、偶像を取り除き、神様への礼拝をささげる祭壇を新しくしました。これもまた神の霊の働きでした。 私たちは、聖霊が注がれ、力が与えられ、大胆に福音を語り、証しすることが出来るように変えて頂き、用いて頂けるのです。
その時、使徒たちのように、私たちは、大胆にみ言葉を語り、それは、正しい、真実な言葉となるのです。

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