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  • 2017年5月28日 : 「和 解」森史子牧師
  • 2017年5月14日 : 「獄中からの光」小倉和三郎 牧師
  • 2017年5月7日 : 「いつも喜んでいなさい」伊藤瑞男牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2017年5月
「和 解」森史子牧師
聖書 コリントの信徒への手紙二 5:18〜21
20 17年5月28日 昇天後主日
「和解」とは、聖書全体を通してカギとなる重要な言葉の一つです。 仲直りの意味でもあります。そこには、対立している同士がいるか らこそ仲直りが必要なわけです。私たちは、先ず人間関係を思い浮 かべます。喧嘩両成敗の前提で双方が歩み寄り解決。しかし、聖書 では「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、ま た、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりまし た」(18節)とある様に、先ず神と和解しなさいと言っています。
神との和解は、神の備えてくださった完全な救いの道なのです。そ れは、仲直りを神が呼びかけ、100%神が代価を払われたからです。 「つまり、神はキリストによって世をご自分と和解させ、人々の罪 の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちに委ねられたのです」 (19節)もう罪の代価は支払われているのです。では、私たちは どうすれば良いのでしょう??その事実を信じ受け入れること。? 和解の言葉=イエス・キリストをしっかり握って生きること。もう、 うなだれ後ろを振り返る必要はありません。安心して生きていきま しょう。

「獄中からの光」小倉和三郎 牧師
詩篇 130:1〜8, フィリピの信徒への手紙 T:1〜11
2017年5月14日 復活後第四主日礼拝
新約聖書には使徒パウロの手紙が多数収められていますが、その 半数はパウロが囚われの身で書いた手紙であることは特筆すべきで す。しかもその手紙にはパウロの喜びと賛美が満ち溢れています。 フィリピの教会宛の手紙でも獄中のパウロは神への感謝に満ち、喜 びをもってフィリピ信者たちのために祈っています(3~4節)。その理 由は、キリストが苦闘するパウロの身近にあって重荷を共に担って くださることをパウロが実感したからでした。これは正に「神はわ れらの避けどころ、悩める時の、いと近き助けなり」(詩篇46:1)の 信仰です。もう一つの理由がありました。それはフィリピの信者た ちの厚い祈りでした。彼らの祈りが海を隔てたパウロの信仰と伝道 の働きを力強く支えていたからでした。
さらにパウロはフィリピの信者たちがパウロと共に福音にあずか り、キリストの恵みにあずかっていることに非常に励まされていま した(5節、7節)。この“あずかる”が重要です。つまりキリストの 福音にあずかるとはキリストの恵みを戴いて感謝するだけでなく、 福音の働きに参加することです。信者たちが共に力を合わせてキリ ストの働きに参加することです。その点で使徒パウロとフィリピの 信者たちは信仰の同労者でした。教会の牧師と教会員との関係も同 じです。私たちも福音に招かれ共に参加する同労者でありたいもの です。
この手紙が書かれる数年前、パウロがフィリピで伝道している時 に反対者たちによって迫害され投獄されるという試練を味わったこ とが、使徒言行録の第16章に記されてあります。監禁されたパウロ と同労者のシラスは真夜中に、賛美の歌をうたって主なる神に祈っ ていました。するとほかの囚人たちはこれに驚き、耳をそばたてて 賛美と祈りに聴き入っていました(26節)。この光景は正に獄中から の光です。私たちの教会も暗いこの世にあって悩み苦しむ人々にと って、獄中からの光でありたいものです。

「いつも喜んでいなさい」伊藤瑞男牧師
詩編 133:1、テサロニケの信徒への手紙T 5:16〜22
2017年5月7日 復活後第三主日礼拝
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」  最近、私はこの聖句にますます魅せられています。私が年を取ったせいかもしれません。しかし、今まで気が付かなった真理に気づかされた思いです。 「兄弟」は家族、同族、同胞、また同じ神を信じる者を意味しました。そのように親しい仲間同士が共に座っているのは当たり前で、驚きではないはずです。しかし、詩人は驚きと喜びの叫びをあげています。それは、この兄弟たちが今まで不仲であったからでしょう。 「共に座る」のは何のためでしょう。話し合うためです。あるいは食事をするためです。あるいは、神さまの前に共に座ること、つまり共に礼拝することが考えられます。 共に座るとき私たちは和解と平和の関係に入ろうという姿勢を示しています。この姿を見るのは、大きな喜びです。
テサロニケの手紙では、「いつも喜んでいなさい」と使徒パウロは勧めます。現実的には、いつも喜んでいることなどできないのですが、パウロは次の言葉をも付け加えています。 「絶えず祈りなさい。どんな事にも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 絶えず祈り、神さまの御心をさぐり、主イエスにあって憐みと恵みを求めるならば、必ず与えられ、感謝へと導かれます。 いつも喜ぶことができるのは、このような信仰の励みをすることによるのであり、またイエス・キリストにおける神の可能性を信じることによってです。 全人類が兄弟として「共に座る」ことができるならばなんという喜びでしょうか。私たちはその幻を与えられています。

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