更新

  • 2017年6月25日 : 「洗 礼」 森史子牧師
  • 2017年6月11日 : 「深い神の富と知恵」伊藤 瑞男牧師
  • 2017年6月4日 : 「最優先すること」小倉和三郎牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2017年6月
「洗 礼」 森史子牧師
聖書  マタイによる福音書 3:13〜17
2017年6月25日  三位一体後 第二主日礼拝
主イエスは、洗礼を受けるためガリラヤからヨルダン川のヨハネ のところに来られた。しかし、洗礼者ヨハネは、主イエスに洗礼を 授けることに躊躇し、イエスが思い留まるように願った。ヨハネの 洗礼は、罪ある者がその罪を悔い改めて、神に許しを願い求め、罪 を水で洗い流していただく「悔い改めの洗礼」であったからだ。ヨ ハネはイエスが罪のない方であること、また人々を神の救いに導く ことができる方であると知っていた。ところがイエスは「今は、止 めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしい ことです。」と答えた。ヨハネは主イエスの言葉に従って洗礼を授け た。
「正しいこと」とは、人間として行うべき正しいことという意味で、 神の御前で罪を告白して、悔い改め、神の赦しを願うことは人とし て大切なことである。もう一つ、罪のない方である主イエスが洗礼 を受けた訳は、ここに救いの道があるからである。「そのとき、天が イエスに向かって開いた」 開いた天から神の霊が降って来た。主イ エスは、水による洗礼と同時に聖霊を受けられた。主イエスの十字 架と復活(神の赦しと救い)が示されたのだ。また神は「わたしの 愛する子、心に適う者」と宣言された。今は私たちに対しても宣言 してくださっている。「だれでも水と霊とによって生まれなければ、 神の国に入ることはできない」(ヨハネ3:5) 自らの洗礼の恵みに 感謝しましょう。

「深い神の富と知恵」伊藤 瑞男牧師
聖書  詩 編 29:1〜11, ローマ 11:25〜36
2017年6月11日   三位一体主日礼拝
「神はすべての人を不従順の状態に閉じ込められましたが、それ は、すべての人を憐れむためだったのです。ああ、神の富と知恵と 知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を 理解し尽くせよう。」(32,33節)
神はすべての人を不従順という牢獄の中に閉じ込めたがそれは、 憐れむためであったと使徒パウロは言います。神への不従順は人の 自由意思によるのではなかったでしょうか。そうです。しかし、不 従順の結果は罪の奴隷状態であって、人の欲しなかった苦しみでし た。それは、神が定めた罪への報酬です。それゆえ、神が閉じ込め たと言っておかしくないのです。 しかし、神さまはその牢獄から人を救い出すという憐れみをくだ さいます。その憐みはイエス・キリストによってすべての人に約束 されているとパウロは確信しました。
しかし、異邦人が続々と救われつつある中で、神の民とされたユ ダヤ人たちはイエス・キリストの福音を拒み続けています。パウロ は同胞である彼らが救われることを切に祈りますが、彼らが救われ る道筋は見えません。しかし、神さまは、異邦人もユダヤ人も最後 には救ってくださると信じました。なぜなら、彼らの先祖イスラエ ルに与えられた救いの約束は取り消されることはないと、信じたか らです。
神さまが用意されている救いの富と知恵と知識は絶大で、人間に ははかり知ることができません。さらに、万物は「神から出て神に 向かっている」(36節)ことが分かっているので、人を含めた万物は 神様によって受け入れられ、完成させられることを信じることがで きます。それ故、賛美と栄光を神様にささげるのです。

「最優先すること」小倉和三郎牧師
詩編 119:57〜64 , フィリピ の信徒への手紙 1:12〜20
2017年6月4日 聖霊降臨祭礼拝
使徒パウロは「自分の投獄が福音の前進に役立ったと知ってほし い」(12節) と語っています。パウロの監禁を機会に、教会の信者たちがますます勇敢に 福音を宣べ伝え始めたからでした。これは信者たち一人ひとりが パウロにではなく、キリストにしっかりと結びつ いていたからです。
私たちの信仰もそうありたいものです。 パウロの監禁によって今一つの困難な問題が起りました。それはキリストを 信じながらもユダヤ教の伝統と生活習慣を重んじて、パウロに対して 不満と疑問を抱いていたグループが、パウロの不在を機 会に自分たちのグループを 拡大するためにキリストを盛んに宣べ伝え始めたからです(15~16節)。 人間は誰でも、自分の生活習慣や民族性などを容易に捨てられな いものです。 そこで自分たちと違う人たちと対立することになります この事態に対してパウロは「口実であれ、真実であれ、とにかく キリストの名が拡げられるのを喜ぶ」(18節)と語っています。
これ はキリスト者として極めて重要な、信仰的な生き方の姿勢です。 つまり自分の名誉や立場にこだわるのではなく、キリストとその名が 重んじられ、宣べ伝えられることを最優先しているからです。

7月の説教 5月の説教 トップへ

© 日本キリスト教団 大泉ベテル教会.All Rights Reserved.