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  • 2017年9月24日 : 「わたしは羊の門です」森 史子牧師
  • 2017年9月10日 : 「み言葉の種」伊藤瑞男牧師
  • 2017年9月3日 : 「キリストの力による新生」小倉和三郎牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2017年9月
「わたしは羊の門です」     森 史子 牧師
聖書   申命記 30:19〜20,  ヨハネ 10:1〜10
2017年9月24日    三位一体後第十五主日礼拝
「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」9節 主イエスは「救いの門」です。私たち羊が安心して平和な心で休める 囲いの門です。 そして主イエスは、この囲いに入るための唯一の 門です。私たちが救われる道は、主イエス以外にはないのです。 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、 誰も父のもとに行くことができない。」ヨハネ14:6 救いの門から続 く道は真理の道です。主イエスは、私たち羊が命を受けるために来 られ、永遠の命へと導いて下さっています(10節)また、11節では ご自身を羊のために命を捨てることができる良い羊飼いと言われま した。そしてその通りに十字架上で命を捧げて下さったのです。
この神の大いなる愛に私たちは、どうしたら応えることができるか? どうしたら主イエスから離れずに生きていけるのか? それは4節 から・・「羊はその声を知っているので、ついて行く」。 主イエスの声とは、聖書から聞こえる言葉です。この声(みこと ば)を持つことで私たちは、道に迷わずに永遠の命への道を歩むこ とができるのです。感謝

「み言葉の種」   伊藤瑞男牧師
聖書  詩編119:105〜112、マルコによる福音書 4:1〜21
2017年9月10日   三位一体後第十三主日礼拝
「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちである。ある者は三十倍、ある者は六十倍ある者は百倍の実を結ぶのである。」
イエス様は神の国の福音についてたとえを多く用いられました。この種蒔く人のたとえは、その中でも、最も印象深いもの、またもっとも分かりにくい説明がついているものです。
種は御言葉を意味します。種を受ける土地は聞く人の心です。実が実るとは、種を受けた人が御言葉を信じ、行い、他の人に宣べ伝えていくことです。それは、説明を受けるとよくわかります。 しかし、神の国には秘密ないし奥義があります。それは、普通の人は勿論、弟子たちでさえ、十分には分からないことです。それは、ユダヤ人たちが期待していた神の国とは全く違うからです。
それは、イエス様が十字架にかかり、復活されるまで、明らかにされないのです。しかし、主の十字架と復活とを見た人たちは、御言葉の恵みを悟りました。そして、よい実を実らせるために、驚くべき伝道の働きへと乗り出していくのです。 たとえは印象深いので長く心の中に残ります。たとえ、すぐには芽が出なくても、ある時突然芽を出し、成長を始め、実を実らせることが起こります。
最近ある教会で礼拝説教の奉仕をした時、一人の女性が礼拝の後私に話をしてくださいました。彼女は子どもの頃教会学校に行き、高校生の時洗礼直前まで導かれた。けれど小さなことでつまずいて、教会に行くのを止めてしまった。しかし、それから50年以上たって再び教会に行き始め、4年前に洗礼を受けたというのです。その きっかけは3.11の東日本大震災でした。この大災害に心を揺さぶられ、悔い改めたのです。私は深い喜びに満たされました。

「キリストの力による新生」    小倉和三郎牧師
聖書  フィリピの信徒への手紙3:1〜11
2017年9月3日   三位一体後第十二主日礼拝
使徒パウロは私たちに「主において喜びなさい」(1節)と呼びかけています。 “主のことを”ではなく“主において”が重要です。 つまり乳飲み子が母親の胸に抱かれて安心しきって喜ぶように、キリストの愛の力に全てをゆだねて生きる喜びです。 この信仰はフィリピの手紙だけでなく新約聖書全体の中心的なメッセージです。
しかしパウロは生まれつきのユダヤ人で、割礼を受けていることと律法を守っていることを誇り、これらを無視するようなキリストの弟子たちをきびしく批判し、迫害していました。 そのパウロが、ダマスコへの途上で復活のキリストに出会います。 そしてキリストの計り知れない愛の力に捕らえられ、生まれ変わりました。 その無比な経験をパウロは「キリストを知ることのあまりの素晴らしさの故に、今まで誇りにしていたものを全て塵(ちり)あくたと見なしています」(8節)と告白しています。 パウロはこの経験に基づいて、私たちに「主において喜びなさい」と勧めています。
今年2017年は私たちプロテスタント教会の成立500年の記念の年です。 ドイツの修道士だった青年マルチン・ルターが、まさにパウロと全く同じ様に、自力によって救いを得ようともがき苦しんだ末に、 「福音は誰でも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です。」のパウロの言葉(ローマ1:16)に出会って、生まれ変わり、キリストの福音の素晴らしさを体験します。 ここから聖書を通してキリストにおいて喜ぶ信仰を伝え始めました。ルターの改革は制度の改革ではなく、福音の再発見による信仰そのものの改革でした。

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