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  • 2017年10月29日 : 「主に仕えるもの」森史子牧師
  • 2017年10月22日 : 「讃美歌と祈り」 (修養会発題)坂口順治氏
  • 2017年10月15日 : 「信仰に生きた人たち」坂井賢治牧師
  • 2017年10月8日 : 「キリストに倣う」小倉和三郎牧師
  • 2017年10月1日 : 「先祖の信仰」伊藤瑞男牧師
礼拝堂 埼玉県新座市栄4-6-17



これまでの説教要旨 2017年10月
「主に仕えるもの」  森 史子 牧師
聖書   ルカ17:7〜10
2017年10月29日  三位一体後第二十主日礼拝
私たちには、それぞれ主から任されている働きがあります。主は、 私たちが出来得る働きへとそれぞれを導かれます。仕事だけではな く、教会奉仕や地域社会の活動も同様です。本来私たちは、仕事を 通して主に仕えているのです。経済的な余裕を感じて喜んだり、逆 に不安になり心が騒いだり、時には腹を立てたり・・・これらは、 すべて自分から出た思いです。私たちは、忙しくなると主と過ごす 時間を失いがちです。主は、どう思っておられるのでしょうか?
主に仕える働き人には、もうひとつ大切な働きがあります。主ご自 身にお仕えすることです。(8節)主人は僕にこう言っています。 「夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますま で給仕をしてくれ。」主イエスは、私たちと深い交わりを心から求め ておられるのです。私たち人間は、主のための時間がないように思 いがちです。しかし、主イエスは、私たちを待っておられます。感 謝と喜びと賛美で主との交わりを楽しみましょう。

「讃美歌と祈り」 (修養会発題)  坂口 順治 氏
聖書  コロサイ 3:16
2017年10月22日  三位一体後第十九主日礼拝
ちょうど今から500年前の1517年10月31日に マルチン・ルターは、宗教改革の端緒を開きました。腐敗 しきった古い体質の教会に反抗して、聖書中心、信徒司祭 性、義認信仰の本来のキリスト教に戻ろうという運動が広 がり、市民による確かな信仰を取り戻すプロテスタント教 会が出来ました。ルターは自分たちの生活言葉で聖書を読 み、祈り、自分たちの歌を神に捧げる生きた信仰生活を展 開しました。
ルターの「神はわがやぐら」(267)、アン・ウォーナ ーの「主われを愛す」(461)、そして西村清雄の「山路 越えて」(404)の讃美歌のエピソードを知り、作詞者 の信仰の偉大さに驚きます。 ルターは、混乱の中で破門 され、信仰によって義とされる信念を詩篇46篇から勇気 づけられて、改革を断行しました。アンは、自作の詩を姉 が小説に引用して、有名になりましたが、どんな境遇にあ っても、神様は愛してくださっている喜びを感謝していま す。西村清雄は、四国松山の夜間中学の教師をしながら伝 道活動をしていました。ある日、宇和島からの帰り道、寒 風にさらされながら夜の峠を越えている時、神様は明るく 温かい光りの場に変えて、祝福してくださっているという 喜びを感謝した歌です。
私たちが、礼拝において、あるいは集いのなかで、折り に触れて、感謝の祈りと讃美をともに捧げます。讃美の言 葉に神様の励ましての声を体感し、生きる力となっていきます。

「信仰に生きた人たち」    坂井 賢治 牧師
聖書  詩 編 31:22〜25, ヘブライ人への手紙  11:17〜22
2017年10月15日    三位一体後第十八主日礼拝
信仰とは、ヘブライ人への手紙11章1節に、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」と明解に書かれています。「望んでい る事柄」、「見えない事実」とは、神様が約束し、啓示されたものです。それ故、信仰とは神様が約束された客観的事実を事実として受け取ることです。 「信仰によって」とは、神様が約束されたことを額面通りに受け取ることです。
ヘブライ人への手紙11章17節から22節において著者は、困難な時代や厳しい状況を生き抜いた信仰の先達たちを思い起こしています。
アブラハムは、大切な我が子をささげました。彼は、信仰によって、「神が人を死者の中から生き返らせることもおできになる」と信じたので、神様からイサ クを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。 イサク、ヤコブ、そしてヨセフは死の彼方を見つめつつも、神様の約束された地に入り、大いなる国民になるという神様の約束が実現すると信じていまし た。それ故、彼らは、神様の約束が成就していなくても絶望することなく、希望を抱きつつ死に臨んだのでした。 詩編31編の詩人は、神様の驚くべきみ業を経験し、神様をほめたたえよ、と歌います。
信仰に生きた人たち、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、そして詩編31編の詩人は、信仰において苦しみや困難に立ち向かう強さ、勇気、果敢な行 動、冒険、神様への信頼、希望を持ちました。 私たちは、神様のみ子イエスが、人間、即ち神様に背き、不従順で神様を信じ切れない者のために十字架に架かられ人間の罪を赦し、救い、永 遠の命を与え、神の国へ入ることを約束されました。このことを信じることが、まさしく信仰なのです。

「キリストに倣う」  小倉和三郎牧師
聖書 イザヤ書40:27〜31,フィリピの信徒への手紙3:10〜16
2017年10月8日    三位一体後第十七主日礼拝
私たちは自分の願いや志によってキリストを信じる者になったと考 えています。けれども聖書によると、信仰の動機は私たちの側にはなく、 キリストの側にあります。例えば漁師だったペトロたちは、突然現れ た見知らぬ男から「私に従え!」と命じられ、直ちに従いました。パ ウロは教会の迫害者でしたが、ダマスコ途上で復活のキリストの圧倒 的な力によって生まれ変わり、福音の伝道者とされました。ペトロも パウロの場合も、信仰の動機はキリストの側にありました。
私たちは パウロたちのような劇的な経験はありませんが、私たちも人間の願いや 志を遥かに超えた不思議な力によって招かれ捕らえられたことを認める ことが大切です。
パウロやペトロたちはキリストに捕らえられた時、自分の今までの 生き方から180度方向転換して、キリストの倣う新しい道を歩み始め ました。パウロはそのことを、その時まで宝物として守って来たもの を、損失として捨て去り、復活のキリストを目指して走り出しました (フィリピ3:13~14)。キリストに捕らえられ、新しい歩みを始めた弟 子たちの私たちにも、キリストは聖霊を注いで絶えず霊的な力を注ぎ、 私たちを信仰の旅のゴールで待ち続け、迎えてくださいます。
キリストに倣い、従う旅は、独り旅ではありません。信仰の友と共に 助け合い、励まし合って進む旅です。そのように教会は「地上を旅する 神の民」です。キリストに信頼し従う群れは、預言者イザヤが預言している ように、「神の民は走っても弱ることなく、歩いても疲れることはありま せん。」(イザヤ40:31)

「先祖の信仰」   伊藤瑞男牧師
聖書 サムエル上1:11, ローマの信徒への手紙 4:16〜21
2017年10月1日   三位一体後第十六主日礼拝
「万軍の主よ、はしための苦しみをご覧ください。はしために御 心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生は主におささげします。」 ここにハンナという女性が、男の子を授けられるよう神様に切に祈っています。子に恵まれない妻が苦しみ、祈ることは普通のことです。
しかし、もし男の子が授けられたら、主にその子を献げることを誓い、それを実行するというのは普通の女性ではありません。ハンナは、 男の子が与えられると、サムエルと名づけ、乳離れしてすぐに神殿に預けて、一生神に仕える祭司とするのです。サムエルはイスラエルの歴史を変える偉大な指導者となります。
ハンナの信仰は、アブラハムの信仰を受け継いでいます。アブラハムと妻サラも子を産むことが絶望的な老齢になってから男の子が与えられ、この子を神様に献げる決断をもしました。 パウロは言います。「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。」(ローマ4:17)
死者に命を与え、無から命を創造する神を信じたのはアブラハムが最初です。そして、ハンナも信じました。イエス様も信じました。 イエス様は、さらに死者に命が与えられることを、初めて身をもって証しされました。 これが私たちの先祖の信仰です。この先祖は、勿論霊的な先祖です。 私たちには肉的な先祖がありますが、霊的な先祖を持つことによって、はじめて、私たちは救われ、神さまのみ前で全世界の人々とつながるのです。

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